26、私の中の般若心経  ~ 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経(たった一字の中にさえ、無量無辺の深い意味) ~

私の中の般若心経  ~ 即説呪曰 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 (たった一字の中にさえ、無量無辺の深い意味)

即説呪曰 そくせつしゅうわつ

すなわち、咒しゅ(呪)を説いて曰く

羯諦 羯諦 ぎゃてい ぎゃてい 波羅羯諦 はらぎゃてい 波羅僧羯諦 はらそぎゃてい 菩提薩婆訶 ぼじそわか

ここから、人智では計り知れない摩訶不思議な呪文の力がさらに強くなっていきます。

神仏が説いた呪文ですから、私たち凡夫には理解できません。

ですので、私自身は訳す必要はないのではないかと思います。

しかし、それをあえて中村元博士はこう訳されました。

「往けるものよ、往けるものよ」「往けるときに、往けるときに」

「さとりの世界にいけるものよ」「さとりの世界に体現してるものよ」

「完全な智慧よ」「般若波羅蜜多よ」

「般若波羅蜜多というさとりを体現したときに」

「彼岸に往ける者よ」「彼岸に往けるときに」

今現在、私たちが存在している迷いの世界の此岸しがん から彼岸に往ける者よ

「彼岸に全く往ける者よ」

「さとりよ、幸あれ」

真言宗の開祖、お大師さん(弘法大師空海)は

真言は不思議なり、観誦かんじゅ すれば無明を除く

一字に千里を含み、即身の法如ほうにょ を証しょう

真言には不思議な力がある。唱えれば迷いを除く。たった一字の中にさえ、無量無辺の深い意味を含み、たちどころにさとりを顕あらわ す。

と、述べています。

般若心経 はんにゃしんぎょう

昔から日本人にも愛され続けている般若心経ですが、実は海外の人々からも人気があり、今は亡き、ジャン・レノンやスティーブン・ジョブスもこの心経を心の教えとしていたといわれています。

私自身も般若心経は以前から知っていましたが、お葬式や法事の時にお坊さんが唱えるお経 もしくは、写経をすると心が休まるといった程度の認識しかありませんでしたが、ポンタヌママと知り合い次第に興味をもつようになりました。

数年前、ダライ・ラマ法王が来日された時におっしゃっておられましたが、般若心経を唱える(または写経)だけではあまり意味がありません。もっと意味を理解するべきです。と、言ってインドに帰られたのが記憶に残っています。

般若心経とは、どういったお経かをちゃんと理解しなければ、意味不明な言語を唱えているだけになると教えてくれています。

この般若心経を深く理解すればするほど、より一層 神仏やお亡くなりになられた方と繋がりやすくなり、※祈祷・※祈願の意味も増してくると云われています。

ただしかしポンタヌママ曰く、間違った考えや綺麗でない心で唱えても、神様仏様には受け取ってもらえないとのことです。

※ 祈祷とは、僧侶や祈祷師、神主などの特別な力を持った者が、神仏に祈りを捧げることです。

※ 祈願とは、自分自身で、目的や願望を達成するために、神仏にお願いすることです。

般若心経というバイブル

般若心経は、困難の多い人生を生きるにあたって、いかに目の前にある問題に立ち向かい、いかにスムーズに人生を歩んでいけるかや、自分の周りの人と互いに想い合い幸せに暮らしていけるかをリアルに説いた教えだと思います。

今まで好き勝手に生きてきた私も、この教えをもっともっと早く知っていたらと悔やまれますが、煩悩で目を曇らせていた頃の私に、この素晴らしい教えを聞いていたとしても『馬の耳に念仏』だったことでしょう。

今まで何度も何度も頭の原型がなくなるぐらい頭を打ち、人生の苦も楽も知り得たからこそ少しは真剣に教えを学ぼうとしたのです。

今が一番よいタイミングだと、神様が私に学ぶ機会を与えてくれたのかもしれません。

ですので、皆様にも人生の苦しみから少しでも解放され心の安らぎを得れるように、この神仏が説いた真実の教えを、知ってもらいたいと切に願っています。

本当に、人の煩悩とは私も含めてですが、罪深く根深いものがありますので、そうやすやすと無くせるものではありませんが、般若心経の意味を理解すれば、たった262文字余りの言葉が人生のバイブルになるはずです。

日本の仏教のほとんどの宗派でも般若心経は唱えられ、それぞれにお経の理解や教義には少し違いがありますが、異なる宗派や人種の垣根を超えて唱えられている般若心経は、

『どうしたら苦しみから解放され、安らかに生きれるのか』を基本に説かれています。

こんなにもありがたい教えは、人類の宝物だといっても過言ではありません。

無知無明

さて、ここまで「私の中の般若心経」にお付き合いいただいた方々は、私なんかよりもずっと格の高い方ばかりだと思いますが、私も含め多くの人々は罪深く煩悩で目を曇らせ自分の立場や自分の言動をわかっていません。

こういった『無明(無知)』の人が多くなれば、世の中 自分のことだけを考え、他人が苦しもうが悲しもうが自分さえよければそれで良いという人が増え続けると現代の日本のようにモラルが崩壊し殺伐とした社会になります。

一人一人が、嘘をつかず、人を欺かず、自分の利益を優先せずに相手を思いやり、自分の置かれた場所で咲く努力をすれば、ユートピアのような世の中が築きあげれるのだと思います。

しかし、こんな小学校の先生が教えるレベルのことを、皆が実行すれば良いだけなのですが現実は周知の通り理想とは程遠いようです。

結局、人間は成長するにつれ、快楽や贅沢を覚え、自分の思い通りにならなければ不平不満を口にし、自分以外の人を羨ましがる気持ちが負の考えに陥れば「僻み」や「妬み」に変わり、その感情がしだいに激しくなると、相手を攻撃し犯罪にまで発展したりもします。

まさしく、無知無明が成せる業です。

血縁

子どもの頃から、親から愛情をいっぱいもらい、ちゃんとした躾を受けた子供なら、こういった負の考えが少なく、自分以外の人と共に上手くやっていけるのですが、逆に子供のころからちゃんとした躾を受けず、親から愛情をもらえず放置され自分の思い通りにしか生きてこなかった子はどうしても自分の中に相手を入れることができず自己本位に生きていこうとします。社会にでてから自分の間違った考えを恥じ、常識を覚える努力をする人はそれなりに人とやっていけるのですが、自己中心的に自分勝手な生き方をする人は先がなくなってしまいます。

そういう生き方をする無知な人間が子を作れば、子もまた親と同じような無知な生き方をすることでしょう。

何度も言いますが、人は一人では生きていけません。自分以外の人と縁を結んでこそ生きていけるのだと思います。そのことをちゃんとした親なら理解していますので子供には人を大事にする大切さを教えていきます。
しかし、親もそういった教育や躾を受けていなければ、代々その一家は常識無しというレッテルを貼られ、親も子も孤立してしまいます。

生まれ変わるのも、ほとんどが血縁である子孫に生まれ変わると云われていますので、こうした負のループがいつまでも魂の進化を妨げているのかもしれません。

近年の研究では、寿命などもそうですが、凶悪な犯罪を犯すのも性癖なども遺伝子(DNA)が深く関わっているとされています。性格形成には、生まれ育った環境も影響しますが、それよりもはるかに人間は遺伝子によって左右されていることが多いということでしょう。しかし、質の悪い遺伝子を引き継いだ子がいたとしても幼少期のうちに愛情を一杯与えさえすれば犯罪を犯さないというデーターもでています。

わたしはよく思うのが、人は生まれながらにして既に運命というレールが敷かれているのではないかと。もちろん本人の努力次第でも変わってきますが、その努力するしないという性格もこの遺伝子に組み込まれているような気がします。

貧富の差で例えていうなら、ほとんどの貧困層は生まれ変わっても貧乏に、ほとんどの富裕層は生まれ変わっても金持ちという構図が母親のお腹の中に入る前から既に決まっているのだと思います。金持ちになる人は金持ちになる考え方を教えてもらえる親に育てられますが、貧乏になるのは貧しくなる考えを自然にするような環境に育つのだと思います。

このように、誰しもが生まれながらに大筋の運命が決まっているとするならば、その人の生き方に沿った性格や素質を持ち合わせているはずです。

大人になるにつれ自己中心的な性格が表に現れてくると、前世と同じような苦悩する生き方を繰り返すでしょうし、逆に自我を無くしすべてのことに感謝し自分本位な生き方を止め、世のため人のために努力する生き方をし、そして、その教えを子々孫々と語り継いでいけば、現世も来世の運命も必ず良い方向に変わっていくのだと思います。

ですので、純粋無垢な赤ん坊のうちから目いっぱい愛情を与え躾をし、正しい自我を伸ばすことが特に大切だということでしょう。

この妙々たる事実は、自然の法則であり宇宙の法則なのだと般若心経を通して神様 仏様が私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

わが家の原始蓮

最後に

誰でもが幸せな暮らしを望みますが、いい家に住み、いい乗り物に乗り、ブランド物を集めるのを幸せだと感じたり、お金儲けや趣味に没頭すること、美味しいお酒や料理を食すこと、異性に恋をすること、SNSなどで優越感に浸ることが本当の幸せだと勘違いされている方が多い世の中ですが、自分のわがままと自由を一緒にし、それによって自分の人生や家庭を崩壊さし、周りの人をも不幸にしてしまえば元も子もありません。

だからといって自分の欲をすべて無くさなければならないと言っているのではなく、欲はほどほどに心がけて生きていけば良いように思います。

私のように、親の愛情をあまりもらえなかったとしても、あまり良い環境で育たなかったとしても、何が正しくて何が間違っているかの判断さえもできずに今までの人生が失敗続きだったとしても、この般若心経を心底理解すれば、物事の真実が見え、悩みが解消し、心の安らぎを得れるような気がします。

何度も繰り返しますが、宗教とは心の教えであり、人々を幸せにする教えです。

神仏が説いたこの般若心経を、すべての人々が心から理解すればほんとうに素晴らしい世の中が築けるのだと思います。

そう願って、『私の中の般若心経』を終わりとさせていただきます。

貴重なお時間を割き、最後までご高覧いただきまして有難うございました。

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