信号待ちをしているとき、時速60km以上ノーブレーキで追突されたら②

救急病院へ

朝の7時30分頃に追突事故に遭い、お盆休みということもあり救急病院の受け入れ先の問題もあり2人とも別々の病院に運ばれました。

私は、殺風景な救急治療室の畳2畳ほどをカーテンで仕切られている場所の運ばれ、先ずは頭を診てもらいました。女の医師で若い看護士と「もう、私 これで18時間労働。なんとかしてもらわんと身体がもたんわ」「確かにきついですね」と、聞こえてきたので、病院もブラック企業みたいなものだなと思いながら、おとなしく目をつぶって聴こえていないフリをしていました。

女医さんが、傷のある部分を診て看護士に何やら専門用語を言い医療器具なようなモノを段取りさせていました。女医が「少し痛いですよ」と、私の頭の上らへんで言いながら、傷のある部分にパッチンパッチンとホッチキスのようなモノを押し当てていきました。

「痛っ」と少し感じましたが耐えれれるレベル。すべてを接合すると、女医がなにやら縫い方に問題があったようで、もう一度ホッチキスのハリらしきものを数個外しにかかりました。

「あ~傷口が””の字になっているから、先に真ん中から留めていったらよかったわ」と、女医が言うと、「ほんまですね」と看護士

オイ!オイ!ここは医者の練習の場なのか?えらい病院に連れてこられたなと思いながら、何度も何度もパッチンパッチンと針のようなモノが頭に突き刺さる痛みに耐えていましたが、女医の手際の悪さに段々と私はストレスを感じだし、ちょっとパッチンパッチンし過ぎだろ!と、心の中で叫んでいると、「あ~もうなんか、やりにくい」と、え~またもや患者の前で暴言ですか!

このヤブ医者め!とまたもや心で叫びながら、じっと我慢の子。結局は9針を縫う怪我でしたが、すべて換算すると15回もパッチンされました。もうほんと、どんだけ下手くそやねんと言いたくなります。

頭の傷の治療が終わりやっと女医から解放された次は、そのままストレッチャーに載った状態でCT室に連れて行かれ検査した後、もう一度同じ救急治療室に戻されました。すると、今度は中年の男性医師に交代していました。先程の勤務時間に不満を漏らしていた女医はすで帰った様子。

ストレッチャーで寝ていると、服を脱がされ体を診てもらいました。

あちこち、打撲と挫傷がありシートベルをしていた後(シートベルト痕)も、ありました。でも一番辛かったのは肋骨部分と鼻が特に痛かったのです。

一通りの検査を終え帰っても良いと判断されました。病院の救急の窓口の玄関を出て、スマホをカバンから取り出すと時刻はすでにお昼の12時過ぎた頃でした。頭に網状の包帯、胸には白のコルセットを巻いていましたが着ていたTシャツに血と汗が滲みコルセットにまで赤色に染りました。

ポンタヌママに電話をすると、治療が終わってない様子。2匹の愛猫が心配でしたが、とりあえず肋骨と鼻の痛みをこらえ足を引きずりながら信号を渡りタクシーを拾ってポンタヌママが運ばれた病院に向かいました。

ママは救急室のベットで寝ており、自力では動けない様子でしたが意識はしっかりしており、お互い生きていたことに感謝しました。

私は肋軟骨損傷(レントゲンやCTに肋骨が折れた箇所が見つからない場合は肋軟骨損傷と診断されます)、頭に9針縫う怪我、鼻骨骨折、数か所打撲と挫傷、外傷性頚部腰部症候群と診断され

ポンタヌママは背骨が圧迫骨折、肋骨左右2本づつ計4本骨折、突発性難聴、全身打撲や挫傷と診断され、ママの方はとても自力では動けない状態でしたが、病院の車いすを借りてなんとか時間をかけて退院することに。

私たちは移動手段の車がなくなったので、京都駅周辺のレンタカー会社までタクシーで行きましたが、この時、ママはまったく歩けない様子で車に載り込むのも30ぐらいかかりました。

レンタカーで家までやっとの思いで帰る事ができました。

保険会社に連絡

レンタカーを借りる前に相手の保険会社に連絡を入れレンタカーを借りることとレンタカー会社の名前と支店名、電話番号を伝えました。

お盆ということもあり選べるレンタカーは少なかったのですが、振動が少なそうで、車いすが折りたためば入るカローラミッドフィルダーを選びました。

それと、自分ところの保険会社にも連絡を入れました。

帰る途中、以前にママが足を骨折したときに使っていた車いすを2階からだそうと話し合っていると、家の中を移動する車いすがないことに気づき近所の介護のレンタルショップに連絡を入れコンパクトで比較的、綺麗いな車いすを段取りしてもらいました。

ここまでの、病院代や処方された薬代、レンタカー代、車いすのリース代(約6千円/1ヵ月)のお支払いは相手の保険会社に請求がいくことになりました。

家に帰ると家の敷地に大破したデリカD2が

夕方頃、家に帰るとその日の朝まで乗っていた愛車のデリカD2が無残な姿で置いてありました。

コンパクトカーがより一層、コンパクトになっていました。

とりあえず重症のポンタヌママを家の中で休まし、クーラーを入れ、車をじっくり見ることにしました。

時速60kmノーブレーキで追突され大破した三菱デリカD2

信号待ちをしているとき時速60km以上ノーブレーキで追突された三菱デリカD2(ソリオ)

車の中を覗くと運転席のヘッドレストが無くなり、後部座席がアトラクションの乗り物のように前に浮き上がっており、運転席の後ろに置いてあった頑丈なコールマンのクーラーボックスが変形し、事故発生前に購入した私の大好きなカレーパンやら車の中のものが散乱、後 コーヒー缶がボコボコになっていたのと、あちこちに血が飛び散っていました。

フロントガラスは約2週間前に県道を走っているときに草刈り機による飛び石でガラスに傷が入り数日前に新品のガラスに変えてもらったばかりでした。

去年の12月頃に新車で購入した車には、とても思えない無残な姿でした。

愛車デリカD2が大破、ポンタヌママは絶対安静の重症の体にされ、私ポンパパもあちこち体が痛い、それと家に帰ってからカレーパンを食べるのを楽しみにしていたのにと考えると、加害者に対して怒りが込み上げてきました。

私は事故直後までカレーパンの『お口』になっていたので、食べ物の恨みは本当に怖いと実感しました。(笑)

ポンタヌママ

『あんたそれ、ただ、いやしいだけやん』

その晩、お互い疲れ切り食欲もなくウイダーinゼリーを流し込み安静にして寝ることにしました。

つづく

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